算数(数学)の文章題(特殊算など)のことを書くページ

算数(数学)の文章題(特殊算など)の解き方の解説などを記しています

小学校の「算数」と中学校の「数学」は超絶に「大切」だと思う話

はじめに

今年で51歳になる中年男性の私ですが、小学校で習う「算数」と、中学校で習う初歩的な「数学」に関しては、生きていく上で非常に「大切」であると改めて思っています。

これが心底から「理解」出来ていて身に付いているのか、それとも表面的な「やり方」を知っているだけで心底からは理解出来ていないのかでは、大人になってから仕事などで直接的に利用するかしないかに関わらず、単なる日常生活を過ごすだけでも「その人生の豊かさ」にさえ関係するのではないか、なんて思うほどです。

「心底から理解出来ている」とは?

「心底から理解出来ているとか、出来ていないなどの違いって何?」と思われた方の為に、一つだけ初歩的な事例を挙げておきます。

小学校で習う「速度算」というものがあります。「公式とかやり方を丸覚えしてやり過ごした」という方も多いと思います。

これの「概念」そのものを知っていると、公式を覚える必要などまるでないと気づきますし、そもそも公式を頭に思い浮かべることがなくなります。以下、それを図解で説明します。

├─60km─┼─60km─┼─60km─┤

上図に「1目盛りで60km」を3目盛り描きました。

1目盛りを1時間で進むクルマがあったとします。すると「1時間で60km進む」訳ですから、このクルマは「時速60km」ということになります。

そのクルマが3時間進むと、上図の通り3目盛りですから、トータルで進む距離は当然ながら60km×3=180kmとなります。これが、

問.時速60kmのクルマが3時間走ると何km進みますか?
答.時速60km × 3時間 = 180km

ということの「本質的な意味」です。

以上が心底から理解出来ていれば、

問.3時間で180kmを進むクルマの速度は?
答.180km ÷ 3時間 = 時速60km

問.時速60kmのクルマが180km進むのに何時間かかりますか?
答.180km ÷ 時速60km = 3時間

というように、何が既知で何を求めるパターンであっても即座に求め方が分かりますし、公式とか「きはじ」の図など思い浮かべることはありません。答えを求める際の算式が「公式」である訳ですが、「公式を思い出して数値を当てはめている」訳ではなくて、直感で式を立てている訳です。

以上のような内容を「心底から理解している人」と「公式に当てはめて考えている人」の違いについて、理解している側から見れば相手がどちらであるかというのは日常会話程度で分かります。

そして極めて当たり前の話ですが、「公式に当てはめて考える人」よりも「心底から理解している人」のほうが応用性が高い訳であり、その違いは「雲泥の差」と言って差し支えないと思います。

日常生活の中で

「速度算」に限らず、「割合」にしても「濃度」にしてもその他も、全て同じような話となっています。

重要なのは、これらの内容は「仕事(の専門性のある知識)」とか「勉強」のみで登場する訳では決してなく、職場を含む日常生活でも普通に用いられることです。そしてそれは、「速度」とか「割合」とか「濃度」など直接的にそのような形をしていないことも多々あります。例えば仕事の予定(工程)を立てるとか、効率的な作業手順を考えるとか、そういった場面での「思考力」に形を変えて登場する訳です。

理解出来ているものどうしなら本質的な会話をして手短に結論や方針が得られる場合でも、相手が「理解出来ていない人」だと円滑に話は進みませんし、場合によっては「全く話が通じないな」と会話を諦めます。

仕事(職場)以外の場面でなら別にそれでも良いのかも知れませんが(個人的には決して良いとは思いませんが)、仕事上の付き合いでそのような基礎的な内容に関して「全く話が通じないな」と思われるのは、その職種がどのようなものであっても「大きな損失」と言えると思っています。

義務教育で学ぶ意味

以上は「小学校の算数」と「中学校の数学」の話ですが、これが「高校数学」となると、かなり印象が違うように思います。

「高校数学」というのは内容にもよりますが、基本的にはより抽象的と言いますか、「具体的に目に見えるようなカタチのあるものとは異なる何か」を扱っているような感覚がより強いように思います。

従って上で述べたような「日常会話」においての内容や、その際に思い浮かべる思考の部分において、「高校数学」の内容が登場する頻度というのは、「小学校の算数」や「中学校の数学」と比べればぐっと少ないように思います。

もちろん、科学技術の発展の為には「数学の力」は必須ですから、日常生活にあまり登場しないからと言って「重要でない」なんてことは決してありません。

ただ、そのようなものは「学ぶ意欲のある者が学べば良い」とも言えるわけで、従って行く行かないを選択出来る「高校」以降で学ぶのだろうと思います。(高校は義務教育ではありませんので、行かずに中卒となる選択肢も認められています。)

逆に言えば、「小学校の算数」とか「中学校の数学」というのは、大人になり生きていく上では就く職業や立場などに関わらず「必須のもの」であるが故に、義務教育の間に学んでいるのだろうとも思います。

おわりに

以上、「小学校の算数」と「中学校の数学」に関してその「重要性」などを述べましたが、そういう観点とは別に、子供が算数や数学の勉強をする際においても、「丸暗記で公式に数字を当てはめるだけ」みたいな勉強よりかは、「出来るだけ本質部分を理解して思考力で解いていく」ほうが楽しいようにも思うのです。

「嫌々やる」よりも、楽しく学んで更に理解も深まるのであれば、それが最も望ましいことだろうと思います。